ふかわ: ある局がね、韓国から、政府の、国を挙げたエンターテイメントですからね、お金をもらってたとするじゃないですか。これわからないですよ、ほんとか。「うちのアーティストよろしくな」例えば、そういうことだったり、楽曲の権利を局がもってるから、そのK-POPのアーティストが売れれば売れるほど、局に入るというシステムがあるとするじゃないですか。
だから、その局はK-POPをバンバン流すということをやってるのは、それはダメなことかどうなのかってことなんですよ。
平松: う〜ん、ダメではないような気がするけど、法律的なこととかを言うとダメじゃないですけど、
ふかわ: うん。法律はないんです。でも、僕はダメだと思うんですね。つまり、公共の電波を用いて、
平松: ああ、まあそうか。
ふかわ: 影響力が凄いわけですから、その公共の電波を使って1つのイチ企業というか、私腹を肥やすようなやり方を推進するのは、僕はそのなんていうのかな、違反なことだと僕は思うんですね。じゃあ、例えばですけどね、実際ね僕が曲を出しました。で、いろんな曲を流します、だけど、ラブディスコに関しては毎週流してるわけじゃない。じゃあ、これはどうなんだということですよ。ラブディスコが掛かればそれは宣伝ですよね、自分の曲だけ他のはワンコーラスであがって、自分のフルコースで掛けやがってバカヤロウみたいなね、そういう風に思う人ももしかしたらいるかも知れない。そこの、境界線は一体どこにあるのかってことなんですよ。
平松: どこなんですか。
ふかわ: どこなんですかって聞いたの? どこなんでしょう。(笑)
平松: はっはっはは。
ふかわ: いや、だからね。
平松: まあまあ、曖昧なとこではありますけどね。
ふかわ: そうなんです、曖昧なとこではあるけど、これは僕はでも単純に量の問題もあると思うんです。
平松: 影響力という単純な。
ふかわ: 例えばですよ、このJWAVEという局がうちのパーソナリティの看板パーソナリティのロケットマンが曲だしたから、
平松: 誰が言ってるんですか。
ふかわ: もう皆言ってますよ。まあまあ、それはいいとしてもう24時間、一時間に一回は掛かるような感じ、じゃあそれをやっていいのかってことです。
平松: そうすね、確かに。
ふかわ: ね、例えばそういうことじゃない。そう、それがあまりにも過度に行き過ぎたら、やっぱそれはそのお良くないことで、経済的には経済界ではカルテルとかそういうのあるじゃない、少ない企業だけで取り決めて、そういうブレーキを掛けるものがあるけど、このメディアに関しては、日本に関しては、なんていうのかなその、ブレーキを掛ける機関がね、ちゃんとしてないんです。ブレーキ機能がちゃんとしてなくて、ゆったらBPOとかなんとかわかんないけど、そういうところがちゃんとしないと、そのヒトラーだっけ、嘘も100いえば真になるみたいな、このメディアを使って、テレビを使って伝えることがどれだけ影響力あるかって言うのをちゃんと見なおさないと、ダメなわけなんですけど。ただ、これを言ったところで、いくらネット上でわあわあなったところで、たぶん基本は変わらないです。だからといって、このチャンネルは見ないとか、そういうことをね、それは各自でね、あの〜判断でやるべきでしょうけど。ぼくが思うのは、今回すごく感じたのは、やっぱりテレビは時代を映すものではなくなったな、と僕はおもったんです。つまり、本当に時代を映すものはそこにないな、完全に終わったなと僕は思いました、これで。終わったって語弊あるかもしれないけど、前から言ってるのは今いろんな情報が錯綜してる中で、誰の目線で誰の価値観で世の中を見るかって的確に選ばないといけない時代じゃない。そのテレビの画面を通して世界を見てたら、自分が痛い目に合うって言う時代になっちゃったなと、つまりテレビだけを信じて生きてったらいつかその人がいつか痛い目にあってしまうような、だから別にテレビというものが決してダメってことじゃないですよ、
平松: はい。
ふかわ: 役目が変わったということなんです。今だってわざわざ時代を見るために映画館いかないでしょ。
平松: はい。
ふかわ: それと一緒です。映画館が時代を反映しないように、テレビが時代を映すものじゃなくなってきてる。世の中の真実を。というふうに僕はおもうわけです。
平松: はい、はい。
ふかわ: で、このフィルターを、僕のフィルターを見るかどうかは今聴いてる人達の判断なんですけど、ということじゃないですか。
平松: そうね。
ふかわ: 例えば、僕がこんなことをTwitterで書いたら即すっ飛ぶかもしれませんけど。
平松: 今、だからTwitterが皆監視してる、
ふかわ: それもあるし、一番決定的なのは喋ったことが消えていくんです。
平松: まあ、あれ残りますしね。
ふかわ: うん、やっぱりそれも大きいです。そういうのもあるし、現状これも今20人ぐらいしか聴いてないってのもありますから、
平松: この段階で、4時半過ぎで。
ふかわ: 色んなことをおもったりするんですけど、だから大きなものにいろいろ言いたくなる気持ちもわかるけど、
でも気にせず、結局ね、批判とかしててもあんまりいいこと無いんですよね、
平松: まあね。
ふかわ: 結果的にね、だから辞めるってことじゃないかもしれないですけど、
平松: 言わずには
ふかわ: そう、ずっと我慢して、我慢して、我慢して自分の世界を突き進むのが正解だと思いますよ。まあ、これもね、頭にあることを言葉で伝えるのは非常に難しいことではあるんですけど。まあ、いろいろ皆さんも感じたと思いますけども。
メディアの境界線はどこなのか
ふかわ: 例えばですよ、僕がなにかお店をやります、お店を経営してますか、じゃあ、ちょっとかわいいブロガーにちょっとお金を払って、来てもらって、ブログ書いてよ、知り合いのブロガーにお願いするじゃない?
平松: はい。
ふかわ: で、ブロガーが「どこどこのカフェ行きました」、勿論知り合いとは書かずにですよ、「すごく美味しかったです、皆も是非行ってみてね」ってね、それどう思いますか?
平松: それはまあ、 いいんじゃないですか。
ふかわ: それはいい。じゃあ例えば、僕のカフェをやってます、じゃあ色んなブロガーを管轄している会社に相談して、「今度こんな店やるんです、宣伝ね、起爆剤ほしいんで、いくら渡ししますんで、おたくの所属のブロガーに書くようにいってもらえないですか」って言ってみんな「この前どこどこのカフェ行きました。美味しかったです」100人のブロガーが書きました、それどうですか。
平松: アウトじゃないですか。
ふかわ: そこ境界線はどこにありますか。
平松: お金かとか、友情かとか、信頼関係かとか、書いてくれてる人が本当に思ったかどうかじゃないですか。
ふかわ: あの〜、僕は前者も基本はダメだと思うんです。前者も。たとえ知り合いでも。知り合いだから、家族だからちょっと大目に見るってのちょっとあるじゃないですか。だから、非常にグレーゾーンであるけども本当はダメだと思うのね。で、後者の企業にお願いしてこれ書かしてやるパターン、これが決定的にダメなのは、僕はお金とか企業うんぬんだけでなく、決定的にダメなのはそれは広告として打ち出してないからなんですね。
平松: ああ〜〜、これは。
ふかわ: つまり、
平松: 広告です。
ふかわ: つまり、テレビCMはどんな俳優が、どんな女優さんが言っても、見る側・受け取る側はCMの世界としてその言葉を受け取るんです。どんなことを言っても。だけど、ブログの中で例えばそういう人が、日常を日常をこういうなことをカフェ行ったんですよと、日常として伝えるのと、ブログの中で「ちょっと告知さしてください」みたいなCMとして打ち出すのは僕は決定的にダメで、今だからそこがブログの中ですごくグレーゾーンになってるけど、
平松: なんかあるらしいですね、いろいろと。
ふかわ: そう。だからブログだから、別にそんな大事として捉えることじゃないかも、その徹底的な善と悪の、僕は片方は完全に詐欺だと思うのね、そのやっぱりそれは。だけど、それをそれと同じようなことを、例えばまたこうなっちゃうんだけど、局がじゃあお金もらってるから、K-POPのCMをバンバン流そうっていうのと、番組の中で取り上げるは決定的に違うと思う。CMだとしたら、視聴者はCMとして受け止めるけど、宣伝してるんだから。番組の中で取り上げるは世の中の現象がこうなってるようにウソ、ウソと言ったら悪いかもしれないけど、現象を偽造してるんですよ。そこに僕はメディアの重大性というか、そこにすごく大事な境界線があるとおもうんですね。
平松: それはそうですね。
ふかわ: そう。だからそこを取り締まる方法が、取り締まるべきなのか、自然淘汰を待てばいいのか、楽して儲けた奴はやがてとはおもうけど、本当に刷り込みとかそういうのって僕らはまだ自分で判断できるけど、小中(校生)とかの子は、それが全てになってしまうからというような、これはもうある種の、メディア観ですね。メディアに対する考え方になると思いますけどもね。