爆笑問題の日曜サンデー ゲスト福岡伸一 2012・3・18

出演: 爆笑問題太田光田中裕二。アシスタント 竹内香苗(TBSアナウンサー)。 
福岡: 今我々が直面してる問題は科学の問題のように見えて科学の問題ではないんですよ。科学の限界の問題なんですよ。つまり、科学的に究明はここまでは出来るけども、こっから先の事は実はよくわかってない。例えば、放射線をどれぐらい浴びればどうなるかとか低線量のことはよくわからないわけです。だから科学的には見極められない問題を前にした時に私達はこれは科学が明らかにするまで研究の成果を待ちましょうと言って立ち止まるべきなのか、それともわからないからこそ、なんらかのアクションを起こすべきなのかってのは科学の限界の問題で、科学者が真偽を言える問題じゃあないんです。だからここは皆が考えなきゃいけない。
田中: それぞれが考えなきゃいけない。
福岡: つまり、科学がこれは真です、これは偽ですと言ってるのではない、次の次元ってのがいるわけですよね。それを成すべきか成さざるべきかっていう善悪問題だと思うんですよね。で、私は何か未知のことが起こる可能性がある場合は、何かするべきだと思うんですよね。それは例えば、今から5・60年前のことなんですが、阿川佐和子さんとセンス・オブ・ワンダーと言う本を出してそこでも論じたことなんですが、化学物質が初めて現れた時にそれが危険かどうかわからなかった時代があったんですよ。環境問題の一番最初に、それが昆虫を殺していって、昆虫を食べた魚が死んで、その魚を食べた鳥が死んで、もう春鳴く鳥はいなくなってしまったんじゃないかと言う『沈黙の春』を書いたレイチェルカーソンさんて人がいたんです。彼女がそれで時代に警告を発した時に物凄い大反発を受けたんです。つまり、農薬を売りたい人達はそんなことを言ってもらったら困るし、そんな因果関係も明らかじゃあないし、わからないじゃないか。科学的に立証されてない。科学的に立証されるまで待った方がいいと考えた人達もいるんですが、当時アメリカはケネディ大統領だったんですけれども、ケネディはやっぱり調査委員会を作って何かアクションを起こすべきだ、言うふうに行動を求めたわけです。それと同じように科学の限界ってのはいつの時代にもあって、見極めきれないものがある。その時に科学が進むまで立ち止まるか、それともわからないからこそある種のアクションを起こすべきなのかってのが問われるべきでそれは科学者だけの問題ではなくて、皆の問題じゃないかって私は思うんですよね。
太田: その皆の問題はそうなんだけど、レイチェル・カーソンを読んだ有吉佐和子が当時複合汚染を書きますよね。
あの中に菅直人が出てくるんですよ。市民運動の代表として。青島さんやなんかの、いってみりゃ市川房枝なんかの応援の。一番の若造として出てくる。その菅直人は日本ではまだまだ全然遅れている公害問題の複合汚染について訴え続けて来たあの若者が、いみじくも何の因果か福島の時の総理大臣になっているわけですよね。片やそこで起きた原発の問題ってのは当時レイチェル・カーソンが言うまでアメリカも日本も誰もそこに気にして無かった防腐剤であるとか、なんていうんだろ、賞味期限やなんかのことではなく、大量生産のために同じ形の同じものを売って、しかもそれは安全性のためにやってたことじゃないですか。いわゆる何日も腐らないようにとか、農薬でも良い野菜を作るようにとか、それは俺はあの当時は人間のためにやっていたもの、DDTがシラミを殺すために、やっぱり人間のためにやっていたもの、それがとんでもない地球の環境を及ぼすってことがわかったのが、戦後何十年かでわかってきた所で、そういうもののトレンドが環境ってものになった。おそらく菅さんもその意識は強かったと思う。それがずーっと自民党政権の中で環境ってものをもう一回考えなおさなきゃいけないってことで企画が出来て、CO2が排出しちゃいけないってことで、火力発電ももうちょっと抑えようって言う所の中の原発じゃないですか。それは、ある種、なんていうの、なんて言ったらいいのかな、そうやっていい方に進んできたものの、勿論その先の理想が原発ではなかった。少なくとも今までのよりは環境にいいだろうと思われていたものが原発だった。ところがこうなった時点で全部の原発が停止するって言う事態になって火力発電がもう一回復活するってことになって、そうすると僕らはこれどっちが良いとか悪いじゃないくて、ほんとにそこに戻ったときにレイチェル・カーソンはそこを戻るのを許すのか、今二者択一みたいな状況になっちゃってるわけじゃない。今、手持ちのものでやろうとすると、火力発電を再起動させることにどうしたってなるわけじゃない。そこがすごく悩ましい所だと思うんだけど。
福岡: レイチェル・カーソンが言ってたことの根幹は自然に対して戦いを挑んだら人間は必ず負けるってことなんですよ。DDTの問題も未だにですねレイチェル・カーソンを犯罪だって言ってる人がたくさんいるんですよ。DDTが禁止されたおかげで、その後アフリカでマラリアで大量の人が死んで、何百万人の人がマラリアで死んだ。だから、DDTに禁止されなければ、その人達はマラリアに罹らなかったんで、レイチェル・カーソンがある意味、ヒトラースターリン以上に殺人を起こしたって言うふうに盛んに言ってる人がいるんです。
竹内: DDTの弊害とか副作用ってのは何でしたっけ
福岡: DDTの弊害、副作用は環境自体に問題を起こすんだけども、直接人間を殺すことはない。だからDDTは殆ど死者を出してないのに、それをやめたことによって何百万人もの死者が出たって言う風に・・・

CMが入る

福岡: その続きを言いますとレイチェル・カーソンが未だにねDDTを禁止したことによって、たくさんのアフリカで起こった死者に責任があるって言う人もいるんですけども、それは実は間違ってると私は思ってるですよね。というのはDDTをそのまま使い続けたとしても、アフリカでたくさんの死者が出たはずなんです。何故かというとDDTに効かない生物が出現してくるからですよね。レイチェル・カーソンはちゃんとそのことも予言していて、自然というのは絶え間のないせめぎ合いの中にあるんで、何か単一の操作的な介入をすると、必ずそれに対してリベンジが起きて来て、その動的な平衡として自然はあるということですね。その全体のサイクルが上手く回ってるってことが生命にとって一番親和的だってことなんです。で、そういう意味では例えば炭素の問題も、低炭素社会って言われてるけども、炭素自体を低減することはできないんです、低くすることはできない。炭素の循環を健全にすることはできるけれども、炭素の総量を変えることは本とは出来ないんですよね。二酸化炭素のインプットを減らすかアウトプットを植物に応援してもらうことしか、二酸化炭素はコントロール出来ないわけですよ。その中にあって、原子力の問題って言うのは生命のサイクルと全然どこもリンクしないエネルギーの作り方ですよね。火を燃やしてお湯を沸かす、そうすると出てくる燃えて出てくる二酸化炭素は植物にもう一度還元されて人間が使えるものになる。それが自然の循環ですよね。でも蒸気機関を動かすのに核分裂のエネルギーを使った、これはどこも生命に回収されることのないやり方ですよね。だから、レイチェル・カーソンは勿論原子力みたいなものは生命に親和的でないエネルギーのやり方だと言う風に考えていたんです。
太田: 『沈黙の春』だったかの最後のほうにコンパニオンプランツですか、農薬を使わない、不思議な事に自然界では、この植物のとなりにこれを植えるとお互いがうまく栄養を分け合ってしかも、虫がつかないみたいなね、そりゃ自然界の中にあるんだってのがひとつの希望的なものとして提示されるんだけども、先生のお話を聞いててやっぱり、やっぱり世の中この世界ってのは物質が何かに変換してそれがまた別のエネルギーに変わってっての循環っていうものなんだなあと思うんだけども、同時に僕はど素人ですから、ふと思うのはあそこで放射能と呼ばれてる、ま放射能つったって随分漠然とした呼び方ですよ。放射能って言うのは。じゃあ、そのアルファ何?粒子、ベータ粒子、ガンマ粒子、それぞれあって、それが俺の解釈ですよ、ど素人の解釈としては、なぜあそこで熱が起きるかってのは一つ核分裂ってのは、不安定な状態をある素粒子が、不安定な状態になった時にそれを補うために次に連鎖する。それが連鎖していく、そこで放出されるエネルギーってのが、揺れながら安定しようとしている状態が長く続く、っていうのがざっくりとした俺の把握の仕方なんだけど、それは科学技術って言うけれども、それも一つの自然現象を起こしてる。ま、それは人為的に起こしてるのかもしんないけど、そこで起きてる現象自体は自然現象でそれは世の中の中で必ず解決されて安定に向かうものではないのかって気がするわけね。
福岡: そこにはね、時間という問題が大きく入ってきてると思うんですよ。核融合核分裂自体は太陽の真ん中でも起きてるってことなんで、宇宙で起きてるある種の自然現象ですよね。それは一定の時間の関数として起きてるし、地球環境の中では非常に極稀にしか起こらないことだったわけですよね。それを人間が封じ込めて、時間を加速して急激に起こるようにしたわけですよね。時間を加速すると加速したツケが必ず違う所に現れるわけですよね。それはカーソンも言ってることで、自然というものはどこかに押し込めると、そこから出ようとするわけですよ。やっぱりそういう長い時間で本来起こる極稀にしか起こらないことをある極所的に急激に起こさせることによってそれが破綻してしまったわけですよね。だから、時間の観念というものが、人間は等身大の時間の中で生きてるわけなので、それがあまり極所的に加速した所にですね、大きな錯誤があったんじゃないかと思うんです。
太田: とすると、それはそれとしてそういう把握をするとして、それを対処するためにはやっぱり、極所的な時間のものを対抗して作る、いわゆる速く安定させるみたいなことって言うのを、要するになんで俺は先生にそれを聴くかって言うと、先生のような専門の人達がそういうアイデアの提言なり、なんなりをそれが合ってるか間違ってるかは分からないけども、そういうことを考えるのかなあって言うのが一つの疑問。
福岡: なるほどね。それはある種の不安定さが急激に起きた時に、それを急激に安定させるために、何らかの別の加速を起こせば、その加速に対して次のツケが来るわけ。だから、結局一度起こした加速は時間の関数としてそれが低減するための膨大な時間を待つ以外にすべはないんですよ。
竹内: それが今言われてる100万年で半減期とかそういうことなんですかねえ〜
福岡: だからやっぱり、そこはね、人間がしてしまったことに対して人間が受け止めて行かないといけない責任だと私は思うんです。
竹内: 給料前借りみたいなものなんかな。
田中: 自転車操業みたいなね、こっちから借りてこっちへ返して。