<中国、先進国への長い道=2004年秋-Cyberchat>『伊藤洋一』

最近の中国で一番の驚きであり、しかも中国の指導部に深刻な危機意識をもたらしたのは、例の日本と中国がアジア・サッカーの覇権を争ったサッカー場での反日運動だった、というのだ。この騒動の全貌は日本にも伝わっていないし、ましてや中国ではそのごく一部でさえも伝えられていない。

 何が中国の指導部にとってショックだったのか。それはああいう反日の動きが出たことではなく、それを必要に応じて抑えられなかったことだというのだ。以前だったら、指導部が抑えようとしたら抑えることが出来た。中国の共産党支配は国営企業、農村社会など各単位を党ががっしり抑えて、その政治意識を押しつけていく、浸透させていくというプロセスだった。それが今まではワークした。天安門事件のような武力を使って抑え付けた事件もあったがあれは例外で、中国は今までは民衆感情の爆発を抑制してきた。

 しかし今回の事件は違った。重慶サッカー場での日本チームへの中国民衆の仕打ちは、対戦相手が中国でなかったにもかかわらずモノがピッチに次々と投げ込まれる酷いものだったらしい。あまりにもひどく、そのまま北京の工人体育サッカー場に持ち込まれれば国際的非難を浴びそうだった。で、中国の指導部は北京では日中の決勝戦は整然と行おうとしたし、一部の指導者はそれを日本に約束した。にもかかわらずそれが出来なかった。中国民衆は、日本公使の車までボコボコにした。これにはさすがの中国も日本に謝罪せざるを得なかった。それが中国の指導部にはショックだったというのです。民衆に対する自らの指導力、そしてコントロールする力の著しい低下。

 あのときサッカー場に居て、実際に場内の雰囲気を見ていたと言う友人を持つ住友信託北京事務所の甲斐さんの話を伝聞で聞きましたが、日本で伝えられているような「一部が跳ね上がり、全体を先導した」といった類のものではなく、君が代の段階からサッカー場全体が異様な雰囲気で、とても「一部の人間の」と言えるような状況ではなかった、という。つまりそれは中国民衆の激しい反日感情の横溢が顕著に表れた事件だったらしい。

 中国側の観客席にいた日本人は、あまりの恐ろしさに意に反して中国側のチャンスの時にはそれに併せて手をたたいた。そうしなければ危なかったという。
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 直前まで北京のサッカー場に来て試合を見る予定だった曽慶紅・国家副主席が来なかったのは、「とても望むような試合会場の雰囲気には出来そうもない」と事前判断した指導部が、「リスクを避けた措置」だったと思われている。国家副主席が来ているのにあの荒れようでは、中国の指導部の権威が問われるし、それを許したとなれば対日関係上だけでなく、中国指導部の統治能力への疑念に繋がる。逆に言えば、最初から「抑えられそうもなかった」「抑えられないと分かっていた」ということだ。

こう言ったことが事実だろうし、そうした事態を引き起こしたのは中国政府自身の政策。