鮫島彩 記事 文藝春秋11月号

『なでしこが初めて語る「震災」と「五輪」   鮫島 彩』
インタビューを元にした記事。小学一年でたまたま近所にあった女子チームへ入る。
中学は学校ではテニス部でそれほどサッカーはのめり込まなかった。サッカーはクラブチームでプレー。
それほどつづけるつもりではなかったが中学3年の時に所属チームが全国大会へ。それで女子サッカーで名門の常盤木学園へ越境入学。1年からレギュラーで全国大会準優勝3回。しかし、学園祭、修学旅行、卒業式は全てサッカーで出られず。母親が看護師で自身も看護師を目指そうか迷ったが話のあったマリーゼへ。年代別の代表もそれほど乗り気じゃなかったが北京オリンピック代表のリザーブに入ってから意識がかわる。震災後はクラブは活動停止、W杯のためにアメリカ・ボストンへ移籍する。マリーゼの環境はよかった。午前中は仕事で午後から練習。雰囲気もアットホーム。W杯のことがあったから断腸の思いで移籍。W杯優勝ユニフォームは福島第一へ送る。リザーブの白のユニフォームは福島県庁へそれぞれメッセージを書いて送る。福島の人に支えられてサッカーが出来たことに感謝する鮫島。