中田敦彦:オードリーという存在はオレにとってコンプレックスなんすよ

中田:俺もさあ、しくじり先生という番組でプレゼンするときに本当に本当に人生掛けてたんですよ、あの番組に。なんでかっつうとあの番組はなんもかも思い入れがつまってて、言ったら最初に出たときすっげぇー悔しかったんすよ。
 というのもオードリーという存在はオレにとってコンプレックスなんすよ。オードリーさんは5年先輩なんだけど、言ったら俺らの方が早めに世に出たのね。で、俺らが武勇伝バブルでバンっていってるときは、まだオードリーさんでてなかったんすよ。俺らがバンって崩れ始めたときに、M-1で準優勝して大ブレイクするんすね。
 そんなときにオレいいとものレギュラーだったんだけど、いつクビになってもおかしくないって言われてた。オリラジもう落ち目だからいつクビになってもおかしくないって言われたときに、オードリーがブレイクするのを見て、絶対俺らと交代だって、絶対交代だ、オードリーが来て俺らコンバートだ、もう絶対だもん、それはと思ったときに、ギリコンバートされずに、どうなったかというと、同じ曜日になったんすよ。同じ曜日にオードリー追加だった。でもさ、スタジオではオードリーが出てきただけで、ぎゃ〜ってなるわけじゃない。俺らはさ、1・2年ぐらい前はぎゃーって言われてたのに、もう対比でなるわけ。そこでオレもう必死こいて、なんとかいいとも残んなきゃって、もう何でもやるわけですよ。出番前にオードリーさん楽屋行って、色々話聞いて、話作んなきゃとか、なんかこうスタッフさんに毎回反省会聞きに行ってなんとかしなきゃみたいな、いいともが最後の砦だったから全部やり尽くしたんですよ。それでこうやってたときに、それでもいいともクビになったときとかは、クビ宣告された翌日もいいともだったんだけど、翌日初めて遅刻したんだよね。ショックで起きれなくて。
 それぐらい精神的にかかって、オードリーってものがあって、そっからもさ俺らはオールナイトニッポン続けられなかったんだよ。でも、オードリーさんは続いてんだよ。で、今年それで武道館も行くわけでしょ。
 もうオードリーっつうのは、俺らのお笑いのジェネレーションって言っていいと思う、前後5年ぐらいで言うと。ほんとに全員がさ、血だらけになって、息絶えた中で、まだ走り続けてるんすよ、オードリーが、そのオードリーの若林さんがなんだろう、ゴールデンの番組で一個成功するというのだけは、要するに城を持つのだけは勘弁してくれと思った。まだ追いつきたいって思ってた。
そんなときに深夜で言ったら若林さんの番組があるとそれが「しくじり先生」だと。ゲストはしくじった奴、失敗した奴、その初回だ。レギュラーの。深夜レギュラーの初回がオリラジなのよ。こんな事あるか。俺はなんでライバルだと思ってた人の前で負けたっていう話をしなきゃいけねえんだよ。だけど、それでプライド持って、これで出なかったら駄目だから、嫁にも色々言われて「あなた失うものないんだから戦ってこい」言われて、わかったつって、もう打ち合わせのときに全部用意して「これをやらしてくんないならでない」。俺は自分のプランで負けるんならいいけど、人のプランで負けるのだけは許されないから。許したくないから。俺全部自分の喋りたいこと喋って、それでいいかどうか見せてくれって叩きつけて、もう今回藤森すまんと、今回俺が俺が喋りたいこと全部言っていいか、「わかった」それでやってそれでこう、それが良かったってなって、それでさ何回か呼ばれるんすよ。でゴールデンにガンって上がるんすよ。
 そんなときにさもう、ゴールデン上がらせてるわけだし、訳がわかんないんだよ。上がって欲しくない、でも俺出たい。コレどういう状況?。もうだからせめて出るからにはもう絶対に最高だ中田ってなって終わらせたいし、もう若林さんだけには負けたくねえと思って、もう全力で球を投げるっていう。だからもう死ぬほど練習して、全部自分で原稿をね作って、皆に聞いてもらって、5回6回練習して、本番行くときにね、俺当日1時間2時間前に入って、スタイリスト喋って、マネージャーに喋って、ディレクターに全部よ、1時間分全部喋ってから、もう体温ギンギンに上げて、若林さんの前登場すんのよ。そんときね、もう教壇立つときには、どうでもよくなってる、疲れちゃって。緊張とかもないのよ、そうなると。
2018年12月19日 オリエンタルラジオ 中田敦彦オールナイトニッポンPremium