人気競技だったラグビーを語る玉木正之:ニュース新発見インサイト

Download

2015年09月23日放送

玉木: 日本でサッカーよりラグビーが人気あったと言えば驚く人がいることに驚いてしまいましたね。
1993年にJリーグが生まれたんですね。それで一気に逆転したわけですけども、その前の日本でのサッカーとラグビーの関係で言えば、サッカーのセミプロリーグですね、JSLというのがあったんです。ジャパンサッカーリーグというのが。これが冬の雪の降ってる寒い中で国立競技場で観衆が500人ぐらいでしょうかね。もうガラッガラのところで岡田武史という人なんかが走ってましたよ。私も見に行ったことがありまして、ラモス選手とかがね、茶色の緑の芝が無い所で雪が振って寒くって500人ですよ。
櫻井浩二: 私もJリーグが始まる直前でしたけど、カズさん、ラモスさんがいてガラガラでしたね、確かに。
玉木: ガラッガラでしたね。そんな時ラグビーはというと某早明戦といえばは国立が超満員、それから新日鉄釜石同志社の試合、それから神戸製鋼の試合はというと、もう凄い溢れかえっていたわけですね、ファンで。それがこんな風に逆転してしまった、結果1993年のJリーグでがらりと変わってしまった。この頃ねえ、色んな原因あるですけど、ラグビー協会も考えなおして欲しいですね。あまりにもねえ、鼻が高すぎた。というのはねえ、ラジオでこうやって喋ってますでしょ。私なんか、ラグビー好きでしょ、日本はねえ、ラグビー協会も頑張って欲しいですね、なんか言うとですね電話掛かってくるんですよ、ラグビー協会から。きちんと言えと。ラグビーフットボール協会と言って下さいと。
本庄麻里子: へえーーーー!!!!
櫻井: そうですか!
玉木: それからね、私が神戸製鋼平尾誠二さんの本を書いたんですね。そしたらそれをね、許可をもらいに来なかったとものすごく怒られましたね。
櫻井: えぇええええええ!!
玉木: ラグビーフットボール協会から。それで担当の人がそれを慌てて送って挨拶へ行ったんですよ。女性の編集者だったんですけども、そしたらその本を身体に投げつけられましてね、くだらん本だすなって言われちゃったんですよ。
櫻井: えぇええ! ホントですか?
玉木: ほんとです。これ私当事者だからはっきりいいますけどね。要するに関西のラグビーを褒めるようなことを書いたら関東の人が怒ったんですよ。
本庄: へぇぇーー
櫻井: なるほど。
玉木: そんな雰囲気だったんですね。私がラグビーを喜んで見に行った時、まだ私も若かったですから
今はもう30過ぎの子供ですけど、幼稚園行ったり、小学校低学年のこども、ラグビー面白いから連れて行くわけですよね、そしたら飽きて遊んだりするわけですよね、面白く無いとかで。そしたら怒られましてね、観客から。静かにしろって。
櫻井: へぇ、そうですか。
玉木: 秩父宮ってそういう雰囲気ありましたです。皆シーンとした中でラグビーを見ていてよしとか馬鹿とかですね、行けとかぼそぼそ行ってる男たちが見てるのがラグビーだったんです。そういうのがダメだってんでね、新日鉄釜石松尾雄治さんなんかが、一生懸命明るいラグビーとかって神戸製鋼なんかも始めてたんですけど、中々変わらなかったんですね。それがなんかね、ラグビーフットボール協会と書いた腕章巻いてる人が立ってる、そんな怖い会場でしたよ。これじゃあダメだと思ってる所にJリーグが生まれたんですね。これはじゃあどっちが楽しいかって言ったらJリーグに決まってるわけですね。ラグビーはね、ドッチか言うたらエリート意識が強すぎたわけですよ。
(中略)
玉木: やっと南アフリカに勝って大騒ぎしてる。さてこの後、エディー・ジョーンズ監督がこのワールドカップが終わるといなくなります。この後このチャンスを掴んでまた元に戻らないようにラグビーが、変なエリート意識を出さないように。あの大学の中に入ってないとダメだとかね、そういうことを言わないような雰囲気を作って欲しいですね。あの大学とはあえて名前を出さないですが。