【ダバディ本再読】

ダバディの基本的な考え方は

村上龍との対談において、
ダバディ
「これは私の世代の先入観、偏見かもしれないのですけれども、私はW杯は2014年、または2020年でごろでなくなると思うんです。マスコミは今回のW杯で若者が初めて国家を意識したというけれど、それは信じられないし、一般に若い選手が、”日の丸”にシンパシーを感じているとは思えません。それは日本に限らず、世界でもそうで、フランスの選手W杯後、すぐにアーセナルやレアル、バルセロナに戻って行くし、W杯より、むしろ生き生きとプレーしている。プロとして億単位のお金を稼いでいる彼らが、こにの代表チームでは0という金額で働いている。それは国のためだけで彼らに見返りはない、。しかもすでにヨーロッパでは国境がなくなっている。私は、いずれすべての国の国境もなくなると思うんですね。」
(中略)
「クラブの試合を観た方が、ずっと面白いし、やっぱり代表チームは全然連携がない。特に今大会のブラジルとか見るとね。」

ダバディ
クラブ的には世界チャンピオンズリーグというか、世界クラブW杯になればいいと思うんですよ。ヨーロッパを中心にして、南米、アフリカ、など大陸や地域ごとのトーナメントにしてもいいし、選手も国籍ではなくチームに所属する。たとえば東アジアなら、上海チームと東京のチームと、まあわからないけど香港チームとかがあって。日本の代表というのは東京チームにして、日本人もいればフランス人、アフリカ人もいて、東京という唯一のチームのためにソニーもキリンも応援する。絶対金が集まるし、そうすればすごい選手も呼べるし、そのときはレアルに負けないチームを作って試合ができるんだから。

 たとえば日本が独自の文化を持っていて、それを守りたい、維持したいと言うのは当然のことですが、それを守るのは、日本人だけとは限らない。日本の文化を愛するアメリカ人やフランス人も出てくるかもしれない。その人たちが、日本の文化のために資材で美術館を建てることだってあるんです。
 つまり、その国を愛する人が、その国の人になる権利があるのだと思います。極端に言えば、日本は日本人に属してないし、フランスはフランス人に属してない。その土地自体、それを愛することのできる人に属しているんだとまで思います。
 気位の高いフランスがEU(欧州連合)に加盟することになるなどと、誰が予想できたでしょうか。近い将来、日本もアジアも、ヨーロッパもなくなって、という時代がやってくるに違いないんです。
P44
ですからサッカーも同じです。いまはまだまだ国別のワールドカップが盛り上がっていますが、私の予想では、それも2020年ぐらいまでで、そのうちにワールドカップもなくなって、残るのはクラブだけになると思います。
 いま世界クラブ選手権が立ち上がって、クラブチームのワールドカップのようなものを模索している段階ですが、だんだんそちらのほうが主流になるのではないでしょうか。
(中略)
P45フローラン・ダバディ『「タンポポ」の国のなかの私』
 逆に代表チームへのこだわり、ワールドカップへの特別な思い入れと言うのは、少くともヨーロッパにおいては、弱まっているように思います。フランスなど優勝するまでは、これを悲願としてきましたが、いざ優勝してしまい、続くユーロ2000にも優勝、世界ランキングでもブラジルを抜いて一位になってしまうと、もう充分という雰囲気があります。
 ブラジルはまたサッカーでは特別な国で、まだまだナショナリズムと密接につながっているように思いましたが、このくにはサッカーそのものが文化のアイデンティと密着している節があって、アイディンティとナショナリズムがまったく重なっていて、この二つを区別するのが難しいように思います。
親交独立国の宣伝としてのサッカー試合:
 サッカーとナショナリズムとの関係を語るとき、よく聞く話に、太平洋あたりの小さな島が念願の独立を遂げたときに、まず最初にやることは、国連加盟の申請より前にサッカーの代表の試合をすることだと言うのがあります。
 それは自分の国が独立したということを外に向かってアピールし、内に向かってはそれを国民統合の象徴と位置付けるわけで、その国が、世界にまだまだ認知されていないときはに、世界に向かって宣伝する手段としては、サッカーの試合はきわめて有効です。
 むしろ微笑ましい話ですし、私に言わせれば、それは国が認知されるまでの過渡期的現象だと思います。その国がれっきとして、世界に認められるようになれば、そのためにサッカーの試合を利用するということはなくなるでしょう。

まあ、本人も偏見や先入観っていって言ってるけど、本当に2014年でW杯が終わるのは勘弁してもらいたい。これこそ、欧米の大国史観かと。別に日本ではナショナルチームナショナリズムが一体ではない、60年前ならともかく。フランス自体、最初のW杯から参加して、98年に優勝した。日本は98年にはじめて参加して、これから国家代表のサッカーを楽しもうと思っているところなのに、冷や水を浴びせるような意見です。
まあ、ダバディの危惧としては、

日本人の応援が異常であることのの一つの理由:
 近い将来はわかりませんが、現在のところ、オリンピックやワールドカップにおける日本人の向き代の愛国心は、確かに異常です。これについて考えられることは、戦後の日本の若者は、愛国心とか国を思う気持ちを否定する教育を振ったりできるのは、オリンピックとワールドカップの時だけで、それ以外のときは、すぐに右翼呼ばわりされると聞いたことがありますが、そうしたものの反動が応援に表れているとしたら、これはあまり健全な傾向ではありません。
(中略)
スポーツの応援なら、どんなに「日本、日本」と言っても許されると言った感じが見て取れます。

ダバディ
安貞桓のパフォーマンス、あれはいけなかった。彼の得点によって1対1に追いついた。点を取って、嬉しい気持ちははわかります。でも、オリンピックのスピードスケートのショートトラック競技でのジャッジの問題を、ここで引き合いに出すことはなかったと思うんですよ。アメリカよ見ろ、と言わんばかりに、スケートの格好を真似る彼の姿を見たとき、私は終わったね、と思ってしまったんですね。あの瞬間、ここ10年間の私の韓国に対する愛情は、いっぺんに消えた。なんて馬鹿らしい、下品なことをするのかと。
村上:
難しいよね、ナショナリズムの問題がいっぱい入ってきて。韓国の人にはアメリカに対してアンビバレントな思いというのがあって、韓国はアメリカに守られているけど、アメリカは何度も北朝鮮との関係では、韓国を飛び越えてロシアと話をしたりしていて、決して韓国の人はアメリカがただ好きというわけではないんですよね。でも安貞桓のあのパフォーマンスは、そういった色々なものを差し引いても何かあまりいいものじゃなかったね。僕はあの試合は観ていないけれども。

私も韓国根本的に愛していて、好きで、友達がいるからこそ、すごくガッカリしたんです。それでパリにいる韓国人の友達、映画監督とか、どちらかと言えば韓国のインテリの人ですけれども、彼らにその不満をぶつけたんですね。すると、返ってきたのは、期待していた冷静なディベートではなくて「いや、それはないよ、あの瞬間は、私の人生の中で最も美しいときだった」という答えだった。20年間フランスで暮らし、いつも自分の独裁的な政治を批判していた彼らの口から、そんな言葉を聞くなんて。ヒューマニストとして、博愛主義をうたっていたあなたは、いったいどこにいってしまったの?いや、実際怖かったです、それは。9月11日のテロ事件以降、素晴らしい自己皮肉とシニシズムのセンスをもったニューヨーク人が「アメリカ万歳」と愛国主義一辺倒になってしまったときのことを思い出しましたよ。

といったナショナリズムと国家チームの一体感から来るウルトラ・ナショナリズムに対する恐れがあり、故に

国家の宣伝としてのナショナルチームの試合があるということは、その前に互いの無知、無理解、無関心があるわけで、私の思い描く理想の将来像から見れば、無知無理解が解消するにつれて、国威発揚のための試合は、徐々になくなっていくはずですし、そうなっていくべきだと思います。(中略)
 ですが、大リーグでも日本選手が何十人にもなって、その活躍がごく当たり前のようになれば、日本人の中にも、私はイチローが好き、私はラミレスが好き、私はアロマー、といったふうに、日本人とかアメリカ人とか、パナマ人といった区別を意識することなく、みなが自分の好きな選手を自然に応援するということになっていくでしょう。
 そうなれば、日本人のスポーツシーンにおける異常な愛国心も、解消されていくのではないでしょうか。」
P48
独立したての国が、その記念にナショナルチームの試合をするのはまだ可愛いらしいとして、旧ソ連や、今の中国のように、ナショナリズムの発揚のためにスポーツを利用するとうのは、本末転倒
だと思いますし、日本人の考え方も、どちらかというと、これに近いのではにかということを、危惧するわけです。
 また、民族のアイデンティティについては、その文化というのは、その民族だけのものではなく、その文化を愛する人、認める人共有の財産だということです。 

すでにヨーロッパでは国境がなくなっている。私は、いずれすべての国の国境もなくなると思うんですね。」

といった結論になるみたいですが、
高尚なコスモポリタニズムやグローバリズムは置いといて、現実はヨーロッパでも国境は増えている。たしかに、EU圏内では国境はなくなりつつある。しかし、ボーダレスだのグローバリズムだの言いながら、90年代にはいってからも、ユーゴは5カ国、旧ソ連は15カ国と増えている。チェチェンも独立したいと思っているだろう、ロシアから。そういった国々は独立して初めて自分の代表チームの試合を楽めるだろう。日本は独立していたし、日本人としての独自のアイディンティはあっただろう。しかし、国民がサッカーのナショナルチームの楽しみを覚えたのは最近だ。ココ十年くらいだ。言及している野球ですら、ワールドカップを開催しようとしているぐらいだ。韓国の場合は危険だろう、確かに。選手がTシャツに「独島はウリナラのもの」とゴール後のパフォーマンスで見せたり、アンジョンファンのスケートの格好もそうだろう。旧ソ連や中国はスポーツでナショナリズムを煽る理由がある。元々、多民族で構成されているが故に、まとめるのも一苦労で、旧ソ連は100以上の民族、中国は55だ。
でも、60年前ならともかく、日本のスポーツにおけるナショナリズムは心配無用だろう。日本の選手が「竹島は日本のもの」といったTシャツをゴール後のパフォーマンスでみせたりしないだろうし、スタディディアムで振られている日の丸は記号だ。
まあ、これからどう考えても日本は代表チーム主体で動くだろうし、それを押しとどめるような要素はないだろうなあ。

追記:)だいぶ遅くなった。下書きしたまま、忘れていた。5/11