戦争継続の態度は変わらなかった。その理由は、1944年の厳冬期に無条件降伏すれば現地で拘束され、ソ連領内の数百万の生命が東部戦線やその奥地で失われるため、春までは戦闘を継続するべきだと考えた。そして、春以降ドイツ本国のいくつかの都市が敵の手に落ちた後も、無条件降伏を行えば、東部残留のドイツ人がソ連軍占領下のドイツ人同様に残虐行為にさらされるとして、さらに継戦を正しいとした。また、デーニッツは1945年の1月から終戦まで、難民や兵士をソ連の残虐行為から救うために、ソ連陸軍の包囲が開いている海上からデンマークや本国(シュレースヴィヒ=ホルシュタイン)へ輸送を開始した。
負け方も非常重要との例。