島田紳助とビートたけしの、売れるための理論 - 死んだ目でダブルピース

クラブ紳助で片岡鶴太郎がゲストで来たときに芸能界生き残り論になった。鶴太郎は旅行先でも朝早く起きて走り始め、その後ボクシングライセンスを取り俳優業に移っていく。ひょうきんの旅行かで沖縄に行った時、朝まで飲んでた紳助が鶴太郎さんが朝早くから走りに行ったと聞かされたときに紳助は「鶴太郎さんはあの方向にいくんだな」と思ったらしい。それを受けた鶴太郎はひょうきん時代に、紳助やさんまを見て俺はしゃべりではやっていけないと思った。紳助は司会をするためにトップテンを生放送でやり続けた。別に視聴者に向けてやっていたわけではなくて、業界向けにやっていた。そのときの紳助のイメージはすぐキレる、怒りっぽいだのいいイメージではなかったが、生放送の音楽番組でアイドルもたくさん出る。中にはクソ生意気なアイドルもたくさん居る中でキレずに一時間きちんと司会するところを見せるプロモーションをやっていた。昔から内側を意識していた紳助。視聴者を全く意識しなかったというのは怖ろしいといえば怖ろしい。
てんやわんやさんらの時代には森進一の前座だったというのがすごい仕事で、芸人の地位が変わったのはコント55号ぐらいからと昔たけしさんは言ってた。彼らが番組持って司会しだして、芸人の地位があがりだした。