倉本聰が語る『北の国から2011・春』

倉本: いまねえ、正吉の夫婦ってのは、あの夫婦はいわき市にいたんですね。
それで津波で正吉は流されて死んじゃうんです。
大根: マジすか。
倉本: 正吉は死んだんです。それで螢は助かったんだけど、あの人は看護婦ですから
避難所でもって、看護ボランティアをずっとやってて、息子の快ってのが中学1年になるんですけども、
彼だけを五郎さんのところへ送ったんですね。五郎さんの石の家で五郎さんは喜んでそれで快と2人で暮らしてる。
純は埼玉でごみ処理やってたんですけど、彼はまあ正吉の死にショックを受けて、それでがれきの整理へ
行ってるですけど、ただ今がれきの整理がどういう形でやってるのか、そのう東電の現場に近いところで、
いわゆるこお、やってるのか、そこにはボクにもよくわからないんだけれども。
五郎さんというのは、五郎さんというのは税金払ってないんですよ。
大根: 払ってる描写ないですね。その描写一切でてこない。
倉本: だから年金ももらえないし、生活保護も受けられないすよ。それを当たり前だと五郎は思ってるんです。
だいたい、あの人金を持たないで物々交換で生活してる人だから、自分は日本国に何もしてないから、
日本国から何かしてもらう権利はないと割り切っちゃってんですね。自分は日本人、日本国籍というより、自然人だと
いう意識だから、役場の人が独居老人だから探りにいくと、隠れちゃうんですね、逃げちゃう。
非常に困ったやつなんです。
大根: 2011、聞いちゃいましたね。
BOSE: もう話だけでいいんです、その話は続けてください。
大根: たまに聞かしてください。
BOSE: みんなの中に画は浮かぶじゃないですか、全部、螢が一生懸命やってるのも浮かぶし。
倉本: 時々富良野で発表してます。
BOSE: それだけでも皆の中でドラマは続けられる。
倉本: 純が離婚したときはさっと離婚さしましたし。
全員: (笑い)
BOSE: やっぱり純だめなんだ。
大根: あのタイミング(吉岡秀隆と離婚)で内田有紀ちゃんと会ったときに
「有紀ちゃん、北の国から続きあったらどうするの。『(内田)先生にお願いして別れることになってます』」
って有紀ちゃんがいってましたね。

TBSラジオDig(2011年8月26日(金)にゲスト出演した倉本聰がその後の「北の国」を語る。
大根=大根仁/テレビディレクター・映画監督。BOSEスチャダラパー/大の北の国からファン。