wikipedia - 東郷茂徳

豊臣秀吉朝鮮出兵の際に島津義弘が連れかえった朝鮮人陶工の子孫である。陶工達が集められた「苗代川」と呼ばれる地域では幕末まで朝鮮語が使われていたという。5歳のとき陶工及び陶芸品を売る実業家として財をなした父が士族株を買い朴茂徳から東郷茂徳となった。

沈壽官窯 400年の歩み 〜その2〜

日本上陸から七十年。治世安定した島津氏は、ようやく苗代川の陶工たちに目を向ける。彼らに家屋敷や扶持を与え、苗字を名乗ることを許す士分に取り立てたのだ。さらに、他藩のように、彼らを日本人に同化させることもしなかった。朝鮮の氏姓を名乗らせ、服装髪型もそのまま。子どもたちには朝鮮語を習わせた。そのため、明治のころまで、苗代川は小さな高麗国のようだったという。