銭湯とウォシュレットにみる日本の「ソフトパワー」


 銭湯に入ると身体と精神が1つになるが、それが可能なのは、技術、風習、達観した態度といった要素が結びついた社会的な基盤があるからだ。風景を眺めながら、見知らぬ人と並んで裸で湯船につかる――単純だが、実に日本らしさを感じさせるこの域に達するには、風呂や温泉という設備が整っているだけではだめだ。比較的安全で一定の信頼関係が成り立つ公共の場と、衛生を心がける姿勢、自然と身体についてのきちんとした考え方も欠かせない。
(中略)
 もちろん、欧米が遅れをとっている原因は、はるかに工夫が難しい部分、つまり公共空間にある。欧米社会ではますます階層化、断片化が進んでいる――最富裕層と最貧困層それぞれ10%の差は、ますます広がっている。金持ちなら「ビル・ゲイツ的世界」のハイテク小道具に囲まれて生活できるかもしれないが、貧困層第三世界と同じ状況で苦しい生活にあえいでいる。公共空間は、両極の層のニーズを満たすという不可能な課題を与えられ、怠慢、不信、無規範の状態に陥っているのだ。