YouTube - 光市母子殺害事件・本村洋氏に聞く 死刑とは?正義とは?2of3

hoven2008-04-24

宮崎「本村さんのお考えになってる正義とはどんなものでしょう」
本村「正義とは難しいものですけれども、社会の絆だと思ってます。」
「人を殴ってはいけない、人のものを盗ってはいけない。」
「そういった皆が思ってる正義というものが社会の絆となって社会というものが強いものになるんだと思っています」
「そういった絆を個人の勝手な欲望とかですね、そういったことで断ち切る人いうのがまさに法の違反であってそういったものは厳粛に裁かれるものだと思ってますので、それが今の私の正義感です」

「自分が犯罪の被害にあってですね、遺族となって、死刑を持ってる国ということの特別な存在ということを少しずつわかってきました。私も非常に残念なのがですね、死刑を例えば今回の被告に科すことが目的のように報じられることが残念で、私は刑罰の執行というのは手段だと思ってます。目的というのは皆一緒だと思うんですけども誰もが幸せに安全に暮らすことが目的であって、それを達成するためにどういった手段があるのか、その中で死刑という手段もあるかもしれないし、他の刑を考える手段もあるかもしれない。
ただ、目的が明確にない中で死刑の存置だとか廃止というイデオロギー的な対論に持っていかれると、それは本当に不毛なことだとおもっているので」
宮崎「本村さんはその目的とはなんだとお感じになってますか」
本村「僕の今思ってるのは死刑というのは命の尊さを私たち国民に知らしめるための制度だとおもってます。もし、この国に死刑という刑がなくて例えば終身刑とか無期刑が最高刑だとすれば、僕はこれほど命について考えなかったと思います。死刑という刑罰があるから例え妻と娘を殺した人間であったとしても、ほんとにそれを国家権力がその命を奪っていいのかどうなのかということで、じゃあ権力と命の関係は何なのかとか?社会契約とは何なのか?主権者と国家の関係は何か?とか一生懸命考えました。それこそが死刑の意味だとおもいますし。」
「死刑という判決が出れば私は妻と娘と被告人の死を背負って生きていかなければいけないと思いますし、司法は新しい解釈を加えたわけですからこれから量刑が大きく動くかもしれない。逆にもし無期という判決を下した場合は私自身も司法を信頼できないでしょうし、国民の多くの方もこれだけ長期の裁判をして、これだけ判決が揺らいで司法は何だったのかという不信感しか生まないと思います。いずれにしろどちらの判決が出ても重たい判決ではないかと思ってます」
宮崎「死刑の判決が出て執行されたら被告・加害者の命の重みもあなたは背負っていくわけですか」
本村「私は必ずそうおもうとおもいますね...今は。」

正義とは社会の絆。 刑罰の執行は手段。目的は何か。