急性胃腸炎はやっぱり

やはり知ってたとしか思えない発言だったか。気付いたファンの人らも敏感。最近では吉本の話でも踏み込んだことをボソボソと言うからなあ。さんま「ショージ、お前週刊誌見たらどこの派閥にも入ってないやないか」ショージ「.............」完全に無言・無音返答のショージさん。デイリーと報知が抜いたんか。

YouTube - 検索ちゃんでの品川祐

言いたいことはわかるがなあ。映画の評論家に似てる。

岡田斗司夫の新オタク日記 2003年3月20日

例えば、僕にとって、クリエイティブという言葉で最近もてはやされている「創作」という行為に関して、特別の価値を見出していない。 同様に、評論というジャンルを、創作に付随するものだという、「創作=偉い」「評論=創作より下」という考え方もしていない。どちらも「表現」の一手法だから、強いて言うなら同列である。
人間とは、心に何かを印象付けられたら、それを他人に向って表現したくなる生き物だ。というのも、生物的な本能が壊れている人間は、かわりに「コミュニケーション」という本能で生きているからだ。誰かに教えてもらわないと、セックス一つちゃんとできない。人間は、コミュニケーションによって生きる能力を得るので、この本能は強烈な支配力を人間に対して発揮する。常にコミュニケーションしたくてしょうがないし、コミュニケーションによってしか幸せになれないのだ。コミュニケーションというのは、周囲から刺激を受け、周囲に刺激をかえすことだ。刺激をかえすとき、人間は様々な表現方法を選ぶ。平面の上に絵を描くという方法だったら、アートになったり、イラストになったりする。立体物を作るのだったら、彫刻になったり、フィギュアになったりする。書き文字なら、評論になったり、小説になったりするし、話し言葉なら日常会話になったり、漫才になったりする。そういう目で見れば、アニメーション作品も、その評論も、まったく同列としか見えない。が、イベント会場のパネルディスカッションで、こんな大前提から懇切丁寧に話せるわけはない。

4年前のアニメフェアのパネルディスカッションに参加した岡田さんが語る創作と評論とは。かなり斬新な見解だとおもいます。創作と評論は別物。あえて言うならどちらも独立したもの。どちらが上でも下でもない。

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大阪EXテレビ。数々の伝説を生んだ番組。たまにダウンタウンも出てた。上岡・紳助とダウンタウンの今では見れない共演。

「大阪EXテレビ」伝説

そして火曜日、私は初回の火曜EXを観てそれこそ衝撃を受けた。スタジオには大きなTVモニターが一つだけ置いてあり、その横で上岡がTVや芸能界について話す、それだけで一時間番組を構成していたのである。セットの全くないスタジオで淡々と語りつづける上岡龍太郎、であった。
 そして最も衝撃的だったのは、その中で前日に放送された東京EXを批判、「少なくとも僕は、昨日の三宅裕司のような醜態は晒しません」と言い放ったのである。前代未聞の「同番組内批判」であった。

上岡さんがブレイクしていく様を目の当たりにしました。この番組とパペポが重要でした。