モリシ、モリシ、モリシマ

セレッソ大阪 - Wikipedia

1994年 - 早期Jリーグ昇格を見据え選手の大幅補強とブラジルからパウロ・エミリオセレッソ大阪初代監督として迎える。JFLで優勝。天皇杯ではJFL所属ながらも当時のJリーグ王者であったヴェルディ川崎を破る大番狂わせを演じたほか、浦和レッズ横浜マリノスJリーグ勢を次々と破り決勝進出。タイトルを狙うもベルマーレ平塚に 0-2 で敗れ準優勝に終った。Jリーグ開幕後、Jリーグトップリーグに所属していないチームの天皇杯決勝進出は現時点でセレッソのみである。1995年からJリーグ昇格。

この頃から見てたけど、これが悲劇の始まりとは。このときのモリシはドリブラーの印象が強い。

逃した栄光と初のJ2降格
2000年 -
5月27日 - 西澤明訓森島寛晃の軸を中心に西谷正也盧廷潤の強力なサイドアタックでリーグを席巻。あと1勝で1stステージ優勝というところまでいきながら最終戦川崎フロンターレVゴールで敗れステージ優勝を横浜F・マリノスにさらわれる。1stステージの成績は2位に終わった。

このとき、延長Vゴール決めたのが若き日の我那覇。この試合はショックだった、副島さんのつらそうな顔が忘れられない。

再び逃した栄光と2度目のJ2降格
2005年
前年度までの脆弱な守備力の強化と、大久保嘉人の海外移籍に伴う攻撃力の低下を補うべく即戦力主体の積極的な補強を実施、GKにガンバ大阪から吉田宗弘を完全移籍で獲得、DFには2003年のユニバーシアード大邱大会優勝メンバーの江添建次郎を7クラブに及ぶ争奪戦の末に獲得に成功、テスト生出身の前田和哉も入団した。FWには京都パープルサンガのエース黒部光昭をレンタル移籍で獲得、MFに東京ヴェルディ1969から廣山望をレンタル移籍で獲得した。外国人選手も数年続いた東欧路線から一変して、ブルーノ・クアドロスファビーニョゼ・カルロスのブラジル勢を獲得した。
(中略)
勝てば優勝が決まり負け又は引き分けで自力優勝が消えるという状況で迎えた最終節、FC東京戦で1点リードしたまま試合終盤を迎え、ロスタイムを乗り越えれば優勝が決まるという状況でコーナーキックでの競り合いのこぼれ球を今野泰幸に決められ、またも優勝を逃してしまった。

ロスタイムに決められ優勝逃した。ああ、これも大ショックだった。 モリシに1回ぐらい優勝を味あわせたかった。このときのブラジル人3人がものすごく効いた。ファビーニョなんかもスケールの大きなボランチだった。