“人生とは旅であり、旅とは人生である”

Grazie HIDE

中田英を最初に見たのはアトランタ五輪最終予選。初戦は前園が累積警告で出場停止。メディアはトップ下はどうするんだと騒いでいた。ちょうど、小倉が大怪我をした直後でもあり、五輪代表には暗雲が立ち込めた。ユースから飛び級で抜擢した中田英西野監督は前園の代わりに起用した。私の中田英の印象はその試合で定まった。フィジカルが抜群でキープ力があり、圧巻だったのはキラーパス。小倉の代わりにこれまた起用された松原良香が決定機を外しまくらなければ、初戦は楽勝だったろう。準決勝のサウジ戦ではなぜだか、後半守備固めで使われ右サイドバックをやらされていた。それでも、相手の決定的なシュートをゴールライン上ヘディングで防いでくれた。
フル代表には97年5月の日韓戦で初選出。その試合でいきなり代表の主力として万人に認知させる。代表歴は満10年。日本代表が世界に出て行くたびに中田の姿があり、個人としてもイタリア・セリエAで活躍。ファンの一人として良い夢を見させてもらった。まさに日本のサッカー選手の代名詞的存在であり、今後このような選手はでてくるのだろうか。
 これからの代表は中田の幻影にさいなまされるだろう。代表の現役バリバリが突然引退した。今後、代表の試合を見ても、「中田がいれば」というようなシーンがいくつも出てくるし、自分自身でもそういうふうに思うに違いない。彼は2010年でも33歳。現在のジダンネドベドと同じぐらいの年齢。日本代表は象徴を失いました。

YouTube-Nakata becomes Roma's saviour

この2本のシュートは本当に素晴らしかった。

YouTube-Nakata serie A Debut

楽しましてもらいました。

中鉢信一-道切り開いたヒデ 「個」貫いた時代の先駆者

極端にインタビューの機会を絞り込んで、言葉の価値を高め、質問内容を事前に求めてマネジメント事務所と受け答えを用意。メディア戦略を徹底させた。
(中略)
 大きくなった存在は日本代表に功罪両面の影響があった。

功罪もクソもいなければどうしようもない存在でしょう。いなければ何とかなってんのか。

宇都宮徹壱-中田英寿引退報道に思う(1/2)

加えて、所属クラブで不遇をかこっていた中田英にとって、自分を中心に据えてくれるチームは、ジーコ率いる日本代表以外に残されていないという現実があった。だからこそ中田英は、このチームで結果を残さなければならなかった。それができなければ、プロ・フットボーラーとしての未来はない――そこまでの覚悟をもって、今大会に臨んでいたのだと思う。
(中略)
 しかし一方で、彼にはもう一つ、支え続けなければならないものがあった。それは「NAKATA」というブランドであり、それが生み出すさまざまな付加価値であり、さらには「若者のアイコン」としての生きざまであった。思い切り分かりやすくいうなら、大会後(彼自身にとって)『カッコ悪く』サッカーを続けることなど、許されなかったのである。
「NAKATA」は常に『カッコ良く』、欧州のトップリーグでプレーし続けてこそ「NAKATA」足り得る。確かに大会前は、不遇が続いた。それでも今大会で日本がインパクトを残し、そこに中田英自身が関与できていたなら、欧州での捲土重来(けんどちょうらい)は大いにあり得たのだと思う。

湯浅健二-ワールドカップ日記・・中田英寿が引退!?・・ちょっと待ってくれよ!・・(2006年7月3日、月曜日)

中田英寿の「プロ引退宣言」に、まったく他のことを書く気が失せてしまった湯浅でした。ホント、ちょっと待ってくれよ・・ってな心境。もし本当だとしたら、とんでもなくショックだね。もう今日は、トレーニング観察も止めにしよう(ドイツのトレーニングは、最初の15分間だけ公開で、後は非公開だというし)。また、招待されているノルトライン・ヴェストファーレン州主催のメディアパーティーもパスだ。もうホテルへ帰ろう。

セルジオ越後-中田潔い決断…海外へ進出、功績・産業化
http://www.nakata.net/


〜1985年12月1日 - 2006年6月22日〜

俺が「サッカー」という旅に出てからおよそ20年の月日が経った。
8歳の冬、寒空のもと山梨のとある小学校の校庭の片隅からその旅は始まった。

あの頃はボールを蹴ることに夢中になり
必死でゴールを決めることだけを目指した。
そして、ひたすらゲームを楽しんだ。
サッカーボールは常に傍らにあった。

この旅がこんなに長くなるとは俺自身思いも寄らなかった。
山梨の県選抜から関東選抜、U−15、U−17、ユース、そしてJリーグの一員へ。
その後、自分のサッカー人生の大半を占める欧州へ渡った。

五輪代表、日本代表へも招聘され
世界中のあらゆる場所でいくつものゲームを戦った。

サッカーはどんなときも俺の心の中心にあった。
サッカーは本当に多くのものを授けてくれた。
喜び、悲しみ、友、そして試練を与えてくれた。

もちろん平穏で楽しいことだけだったわけではない。
それ故に、与えられたことすべてが俺にとって素晴らしい“経験”となり、
“糧”となり、自分を成長させてくれた。

半年ほど前からこのドイツワールドカップを最後に
約10年間過ごしたプロサッカー界から引退しようと決めていた。

何か特別な出来事があったからではない。その理由もひとつではない。
今言えることは、プロサッカーという旅から卒業し“新たな自分”探しの旅に出たい。
そう思ったからだった。

サッカーは世界で最大のスポーツ。
それだけに、多くのファンがいて、また多くのジャーナリストがいる。
選手は多くの期待や注目を集め、そして勝利の為の責任を負う。
時には、自分には何でも出来ると錯覚するほどの賞賛を浴び
時には、自分の存在価値を全て否定させられるような批判に苛まれる。

プロになって以来、「サッカー、好きですか?」と問われても
「好きだよ」とは素直に言えない自分がいた。
責任を負って戦うことの尊さに、大きな感動を覚えながらも
子供のころに持っていたボールに対する瑞々しい感情は失われていった。

けれど、プロとして最後のゲームになった6月22日のブラジル戦の後
サッカーを愛して止まない自分が確かにいることが分かった。
自分でも予想していなかったほどに、心の底からこみ上げてきた大きな感情。

それは、傷つけないようにと胸の奥に押し込めてきたサッカーへの思い。
厚い壁を築くようにして守ってきた気持ちだった。

これまでは、周りのいろんな状況からそれを守る為
ある時はまるで感情が無いかのように無機的に、またある時には敢えて無愛想に振舞った。
しかし最後の最後、俺の心に存在した壁は崩れすべてが一気に溢れ出した。

ブラジル戦の後、最後の芝生の感触を心に刻みつつ
込み上げてきた気持ちを落ち着かせたのだが、最後にスタンドのサポーターへ
挨拶をした時、もう一度その感情が噴き上がってきた。

そして、思った。

どこの国のどんなスタジアムにもやってきて
声を嗄らし全身全霊で応援してくれたファン――。
世界各国のどのピッチにいても聞こえてきた「NAKATA」の声援――。
本当にみんながいたからこそ、10年もの長い旅を続けてこられたんだ、と…。

サッカーという旅のなかでも「日本代表」は、俺にとって特別な場所だった。

最後となるドイツでの戦いの中では、選手たち、スタッフ、そしてファンのみんなに
「俺は一体何を伝えられることが出来るのだろうか」、それだけを考えてプレーしてきた。

俺は今大会、日本代表の可能性はかなり大きいものと感じていた。
今の日本代表選手個人の技術レベルは本当に高く、その上スピードもある。
ただひとつ残念だったのは、自分たちの実力を100%出す術を知らなかったこと。
それにどうにか気づいてもらおうと俺なりに4年間やってきた。
時には励まし、時には怒鳴り、時には相手を怒らせてしまったこともあった。
だが、メンバーには最後まで上手に伝えることは出来なかった。

ワールドカップがこのような結果に終わってしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
俺がこれまでサッカーを通じてみんなに何を見せられたのか、
何を感じさせられたのか、この大会の後にいろいろと考えた。
正直、俺が少しでも何かを伝えることが出来たのか…
ちょっと自信がなかった。

けれどみんなからのmailをすべて読んで
俺が伝えたかった何か、日本代表に必要だと思った何か、
それをたくさんの人が理解してくれたんだと知った。
それが分かった今、プロになってからの俺の“姿勢”は
間違っていなかったと自信を持って言える。

何も伝えられないまま代表そしてサッカーから離れる、というのは
とても辛いことだと感じていた。しかし、俺の気持ちを分かってくれている“みんな”が
きっと次の代表、Jリーグ、そして日本サッカーの将来を支えてくれると信じている。

だから今、俺は、安心して旅立つことができる。

最後にこれだけは伝えたい。

これまで抱き続けてきた“誇り”は、
これからも俺の人生の基盤になるだろうし、自信になると思う。
でもこれは、みんなからの“声”があったからこそ
守ることが出来たものだと思う。

みんなの声を胸に、誇りを失わずに生きていく。

そう思えればこそ、この先の新たな旅でどんな困難なことがあろうと
乗り越えていけると信じられる。

新しい旅はこれから始まる。

今後、プロの選手としてピッチに立つことはないけれど
サッカーをやめることは絶対にないだろう。
旅先の路地で、草むらで、小さなグラウンドで、誰かと言葉を交わす代わりに
ボールを蹴るだろう。子供の頃の瑞々しい気持ちを持って――。

これまで一緒にプレーしてきたすべての選手、関わってきてくれたすべての人々、
そして最後まで信じ応援し続けてきてくれたみんなに、心の底から一言を。

“ありがとう”
  ひで