帰れま10 3時間SPと おまけ|ぬるいお笑いは要らんのじゃあ

3時間は長すぎる。小杉もおいしなろうとしてる姿がみえみえ。ヒーハーを安売りして皆から突っ込まれる。
有吉が若槻にもうお前の時代は終わった、旬じゃないと言っていたのは面白い。今は優木まおみの時代とかカメラに写ってないのに言ってたり。

THE 芸人大図鑑2|ぬるいお笑いは要らんのじゃあ

吉田エピソードが圧巻。ここで書かれてる話以外にも天津向が自分が使ってるライターを吉田にくれと言われて一瞬躊躇した時に吉田が今まで向に奢った金額を紙に書き始め、焼肉1万2千円、居酒屋6千円などなどで合計を出して、「100円ライターなんぼ買える?」と向に言ったくだりには笑える。セコさ、ひがみとコンプレックスに多少金を持ち出した吉田のクズエピソードが最高だった。

島田紳助とビートたけしの、売れるための理論 - 死んだ目でダブルピース

クラブ紳助で片岡鶴太郎がゲストで来たときに芸能界生き残り論になった。鶴太郎は旅行先でも朝早く起きて走り始め、その後ボクシングライセンスを取り俳優業に移っていく。ひょうきんの旅行かで沖縄に行った時、朝まで飲んでた紳助が鶴太郎さんが朝早くから走りに行ったと聞かされたときに紳助は「鶴太郎さんはあの方向にいくんだな」と思ったらしい。それを受けた鶴太郎はひょうきん時代に、紳助やさんまを見て俺はしゃべりではやっていけないと思った。紳助は司会をするためにトップテンを生放送でやり続けた。別に視聴者に向けてやっていたわけではなくて、業界向けにやっていた。そのときの紳助のイメージはすぐキレる、怒りっぽいだのいいイメージではなかったが、生放送の音楽番組でアイドルもたくさん出る。中にはクソ生意気なアイドルもたくさん居る中でキレずに一時間きちんと司会するところを見せるプロモーションをやっていた。昔から内側を意識していた紳助。視聴者を全く意識しなかったというのは怖ろしいといえば怖ろしい。
てんやわんやさんらの時代には森進一の前座だったというのがすごい仕事で、芸人の地位が変わったのはコント55号ぐらいからと昔たけしさんは言ってた。彼らが番組持って司会しだして、芸人の地位があがりだした。

紳助、感動の原点 「チーム紳助」

26時間テレビと島田紳助:いんぎー千葉さんの思いつきブログ(仮):So-net blog

「俺たちがやるメリットは何か? 終わった後に必ず泣ける。」
この時ヤンタン、ハイヤンのリスナー巻き込んで鈴鹿で毎年のイベントにしていき、ファンも含めて皆泣いた。
3輪車の12時間耐久は間違いなく8耐の経験から来ている。

クイズ!紳助くん 7月14日放送分

紳助「新番組始ったときなんか、ひやひやしてちょっと視聴率出る前の日なんか祈る気持ちやで。」
長原「やっぱり紳助さんでもそう思いますか」
紳助「あたりまえやんけ。行列なんか長いことつづいてますけどあんなん奇跡ですよ、ホンマ。ヘキサゴンなんて駄目に決まってますやん、あんなもん。これで僕がおもてるユニットがあたっていかへんかったら、来年ぐらいには陰りがみえて再来年には再来年には終わりますわ」
全員「え〜。」
紳助「そんなことぐらいわかってへんかったらいつまでもこんなとこ(司会者)座ってられへんぞ、お前。そや、絶対あかんねん。そやから次さがさなあかんやん。ぶっちゃけた話、深イイ話がうまいこといったやん。」
円「次から次へと、お前うまいことやってるよな〜」
紳助「深イイ話も月9のドラマがコケてるから助かってる部分もあんねん」

客観視の権化。ヘタしたら最悪ヘキサゴン、再来年に終わると。まあ、それぐらいの情勢分析はしてるわな。

島田紳助 "永遠の二番手"を時代のトップに押し上げた「笑いと泣きの黄金率」 - 日刊サイゾー

三番に入らないといけないとは言ってた。たけし、さんまの次と思っていたんだろう。3番に入ればメダルがもらえる。たぶんどの分野でも3番に入らないと一般に認知されないということ。人気番組にするにはスターを作らないといけないというのは週刊誌のインタビューで以前答えていた通り。ただ、感動路線に度が過ぎると見てる側としては引く。7:3ならいいがこれが3:7ぐらいになったら要注意。